4/9(土)、コロナ第7波が押し寄せる前に、年度替わりのストレス発散に京都を歩いてきました。ポロシャツ1枚でも暑いぐらいの良い天気に恵まれて。
2回に分けて記事にしますが、前半は、大徳寺周辺(①~④)です。
大徳寺へ行こう
京都市営地下鉄烏丸線「北大路駅」で降りて、京都市営バスで「大徳寺前バス停」まで。
ここで、京都市営バス を使う時に、便利なアプリを紹介します。
「 歩くまち京都 バス・鉄道の達人 」
目的地を入力すると、現在地からバス・地下鉄・JR・私鉄・徒歩を組み合わせた経路を瞬時に提案してくれます。大いに助かっています。
京都散策では、交通系ICカード(私はPiTaPa)が便利ですが、京都市営バスの均一料金区間では、乗車時には何もしなくて、降りる時に運転手さんの横のリーダーにタッチすればOKです。知らなかったら、ちょっとまごつきますね。
大徳寺 って、どんなお寺?
鎌倉時代末期に、播磨の守護 赤松円心 の寄進により、大燈国師 が開創。
豊臣秀吉 が 織田信長 の葬儀を営み、信長の菩提をとむらうために 総見院 を建立。
大徳寺の山門を 千利休 が寄進し、利休の像が安置されたことから、秀吉の怒りをかい利休切腹へとつながったと言われています。
普段、そもそも大徳寺本坊が非公開で、他のほとんどの塔頭(24寺院)も非公開のところが多いのですが、現在、「 春の特別公開 」ということで、興臨院・黄梅院・総見院 が拝観できます。青囲みの4寺院が常時公開です。
黄梅院 見事な庭園 No.①
大徳寺総門を入り、左手に折れた道。
観光客もまばらで、ほんとに静かな京都。
黄梅院 の門をくぐると石柱が4つ。
毛利元就 の一門の霊所だって?
ここは、織田信長 が初めて上洛した際に、父・信秀 の追善菩提のために小庵「 黄梅庵 」を建立したことに始まるんだとか。
本能寺の変で信長が討たれると、羽柴秀吉 は大徳寺で信長の葬儀を行い、「黄梅庵」も増築して「 黄梅院 」と名を改めたそう。
小早川隆景 は、庫裡、鐘楼、客殿などを寄進し、千利休 が、「 直中庭 」を作庭したとのこと。
下の写真は、門を入ったところの前庭。
これより先は写真撮影NG! 残念。
写真が撮れなかった中の庭は、千利休 が66才の時に作庭したという「 直中庭(じきちゅうてい)」。
秀吉の瓢箪をかたどった池や、加藤清正 が朝鮮から持ち帰ったという灯籠が配された 苔一面の枯山水庭園。実に見事!!
日本庭園のいろはも分からない私だけど、今まで訪れた庭で一番かもしれない。
残念なことに写真が撮れなかったので、HPからの引用です。
興臨院 No.②
千利休因縁の山門を見ながら、興臨院へと向かいます。
興臨院 は、能登の守護大名・畠山義総 が建立して、畠山氏が没落した後は、能登を治める 前田利家 により庇護され、前田氏の菩提寺になったとのこと。
隣の瑞峯院は、大友宗鱗 の菩提寺とのこと。
今回、あまり下調べをしていなかったので、へぇ~ということが多い(笑)
総見院 信長のお墓 No.③
羽柴秀吉 が、本能寺の変に倒れた 織田信長の追善菩提 のために建立したお寺。
本堂には秀吉が奉納した木造「 織田信長公坐像 」(重要文化財)が安置されています。
今回の京都散策のお目当てが、この信長座像。
これも写真撮影が駄目だったので、HPから引用します。
皆さんも、学生時代の資料集とかで見たことがあると思います。
この信長座像、高さ三尺八寸の等身大で、信長の面影を良く伝えていると言われています。
2体彫られて、1体は、葬儀の際に荼毘にふされたそうです。
本堂に座りこの座像を間近に見ながら、お寺の由緒などを聞くことができました。
これが信長公のお墓。うーん、ほんとにそうなの?
信長のお墓というのは、京都の他のお寺にもあったなあ。
( 信長の別のお墓の記事はこちら ↓ )
この井戸の井筒は、加藤清正 が朝鮮の役の時に船の重しとして持ち帰ったものとの謂われがあるらしい。今も現役の井戸です。
この わびすけ(椿)は、秀吉 が 千利休 から譲り受けて植えたものとして伝えられているらしい。樹齢400年以上の日本最古の胡蝶侘助とあった。
いやあ、良かったぁ~。
秋の紅葉シーズンにも来たいなあと余韻に浸りながら、すぐ北側の今宮神社へ。
今宮神社 あぶり餅を食べに行こう No.④
ここは、今宮神社の東門に続く参道です。
あぶり餅 のお店、右手が「 一和 」さん、左手が「 かざりや 」さん。
「 一和 」さんの創業が平安時代中期、「 かざりや 」さんが江戸時代初期で日本最古の和菓子屋さんと言われ、テレビや雑誌でよく紹介されています。
この「 あぶり餅 」、一度食べてみたかったんだな。
きな粉をまぶしたお餅を親指サイズにちぎって竹串に刺して、炭火であぶって香ばしい焦げ目をつけて、絶妙な甘さの特製白味噌だれを絡めて仕上げてあります。
この名物「 あぶり餅 」は、今宮神社 が、疫病を鎮める御霊会を行ったことに起源をもつお宮さんなので、その参拝帰りに病気封じ・厄除けのご利益のある門前菓子として食べられていて、今に伝わっているんだとか。
私は、「 一和 」さんに入りました。
女将さんが、炭火で餅をあぶっている様子がうかがえる軒先に腰掛けると、「おぶうをどうぞ。」とお茶を出してくれました。京都らしくて良いなあ。
美味しかった! 白味噌だれもしつこくなくてちょうど良い感じ。
上の写真が「拝殿」、下が「楼門」。
お昼ご飯を探しに、楼門から今宮門前通りを南へ。
京都のお昼は蕎麦を食べることが多いのだけど、近くに蕎麦屋さんがなくてうどん屋さんへ。暑くてのどが渇いていたので、ビールでエネルギー補給。
「えっ、うどん1杯がこの値段?!」という京都プライスだったけど。
千本通り周辺の京都散策は(その2)で近々アップします。