11/24(月)、激混み を覚悟して 京都 へ。
でもでも、嵐山や東山ではなく上京区を選んだのが ・・・ 大正解!
静かな街歩きを楽しむことができました。

道三と信長と妙覺寺
京都市営地下鉄烏丸線の 鞍馬口駅(№①)から西へ徒歩10分のところに「 具足山 妙覺寺 」(№②)があります。
永和4年(1378)創建、本尊は十界曼荼羅、日蓮宗のお寺さんです。

これが3連休の京都とは信じられないぐらい、しずか~。
この 大門(山門)は、聚楽第 の裏門を移築したものだそうです。

「 法姿園 」(ほうしえん)という庭は、苔 に もみじ 。
黒漆塗りの机に もみじ が映り込んでいます。
撮影の順番がすぐに回ってくるし、拝観者も映り込みません。
きれい~ しずか~ 小春日和でのんびり~

斎藤道三の遺言状 ~ 美濃一国譲り状 ~
妙覺寺は、斎藤道三 の遺言状が残っていることで有名なんです。
(この展示品は複製です)

美濃の戦国大名・斎藤道三 は、京都山科で生まれて、ここ妙覺寺で得度。
そして、妙覺寺の住職がなんと道三の四男・日饒。
道三は、この息子に美濃を信長に譲るという遺言状を送った ・・・
まあ、信憑性を疑う研究もあるらしいんですけどね。
信長は、道三との関係で、京都では妙覺寺を定宿にしていたとのこと。
で、本能寺の変 です。
信長は本能寺で、長男の 信忠 の方が妙覺寺に泊まっていました。
ただ、信忠が泊まっていた当時の妙覺寺は、現在の場所ではなくて、二条衣棚(ころものたな)にあったそうです。
だったら、当時の本能寺も、信忠が自害した二条新御所も近いですね。
現在の場所には、羽柴秀吉の命(天正の地割)で移転してきたそうです。
妙覺寺から西に向かい堀川通を渡ると 西陣興聖寺 があります。
この興聖寺は、慶長八年(1603)に 古田織部 により建てられた臨済宗のお寺さんです。
普段は非公開なので、秋の特別公開(11/15~12/14)に行ってきました。

この山門から本堂の間のもみじを見たかったのです。
ちょっと早かったかな。


また、方丈の「 青波(せいは)」という 襖絵 がとても印象的。
海中写真家の杏橋幹彦氏の作品で、海の中に潜り「波の裏側」を撮るのだそうです。
あるTV番組で住職さんが、左手前の写真は、お釈迦さんが手を差し伸べられているようにも見えると言われていました。
そう聞くと、そう見えてくるから不思議。

帰路に
№⑦の ウッドミルブルワリー・京都 で美味しいクラフトビールを飲んで帰ろうと思い、勘に頼って青矢印のところから南に下りました。
それがこの道。(あとで調べたら 小川通 )
だ~れも歩いていない。 秋の京都でこんなことある?

なんか私なんかが入ったらあかんようなお店とか、中が見えないお屋敷とか。
そうこうしていると石柱の立っているお屋敷が。
「 千利休居士遺蹟 不審庵 」 ・・・ えぇーっ!
そう、ここは表千家や裏千家の茶室などが並ぶお茶の世界だわ~。
因みに、№④が 裏千家今日庵、№⑤が 表千家不審菴
茶道などには縁のない私は感心するばかりで通りを抜けると、知っているところへ出ました。
それが№⑥の「 百々橋 」(どどばし) です。応仁の乱の激戦地ですね。
ついでに、№⑧が細川勝元の 東陣 の跡です。
げっ! ウッドミルブルワリー・京都 は定休日(泣) ざんねーん!
でも、お昼ご飯はいつもの「天ざる」&「生ビール」でしたけど(笑)

京都駅前 では、海外からの観光客の皆さんにどこから来られたのかシールを貼ってもらうコーナーがありました。ほんとに世界中からですね。
Wishing you a wonderful day in Japan!

今回も、小春日和のもと静かな京都歩きを楽しむことができました。
それでは、定番のお土産「 生八つ橋 」を買って帰りましょう。