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「もと伊勢」に参ってきました

「もと伊勢」って、ご存知ですか?

元伊勢 」とは、伊勢神宮 が現在の三重県伊勢市に鎮座する前に、一時的に祀られた神社や場所のことをいうそうです。

その伝承の地は畿内を中心にたくさんあるのですが、今回、京都府福知山市大江町の「 元伊勢内宮 皇大神社 」(こうたいじんじゃ)に行ってきました。

「元伊勢内宮皇大神社」(No.①)のある 福知山市大江町 は、H18年の合併前は加佐郡大江町でした。現在、加佐郡は合併により消滅しています。

この大江町は、大江山(No.②)の 鬼伝説 で有名な地です。

町のいたるところに「鬼」がいましたよ(笑)

No.③は 日本三景 のひとつ「 天橋立 」ですが、最近、熊の出没でニュースとなっていますよね。

それではお参りしましょう

駐車場は、500円を簡易な木箱に入れる仕組みでした。

参道は220段の石段を登ります。

麻呂子杉 」と呼ばれる樹齢千年以上とされる大木もあって、歴史のあるお社だなと感じます。

この「麻呂子杉」の名称は、聖徳太子の弟である麻呂子親王による鬼退治伝説から来ているそうです。

大江山に、平安中期の 源頼光 による 酒呑童子 退治の前にも鬼退治伝説があったなんて知りませんでしたね。

本殿に着きました。ご祭神は 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)

この鳥居は「 黒木の鳥居 」ですね。

樹皮のついた丸太のままの木で造る最も素朴で原初的な様式の鳥居です。

本殿は、伊勢神宮と同じ「 神明造 」で、茅葺です。

やはり、古来の簡素で素朴な建築様式を今に伝えています。

この神社にも60年毎の式年造替の定めがあるそうです。

これは、樹齢2千年と伝えられるご神木「龍灯の杉」

節分の夜、この巨木の梢に龍王が天照皇大神に神灯を捧げる。その灯は、下枝から次第に上枝へと昇ってやがて天に至るという神秘的な伝説があるとのこと。

本殿の周りには80余の小宮があります。

手前の少し大きなお社は、興玉神(おきたまのかみ)が祀られていました。

興玉神は、内宮の守護神として位置づけられ、清めや再生を司る重要な存在なんだそうです。知らなかったあ。

貴船神社など、行ったことも聞いたこともある神社の小宮が並んでいました。

次、天岩戸神社まで足を伸ばそう

この 皇大神社(内宮)と奥にある 天岩戸神社 、それに少し離れた 豊受大神社(外宮)を合わせて、「 元伊勢三社 」というそうです。

ほんとにお参りしている人が少なく、熊が・・・こわい

天橋立に出るぐらいだからここにも居そう

もし襲われたら目つぶしで闘うぞっと、指でVサインの練習をマジでした(笑)

途中、「 日室ヶ岳遙拝所 」という場所がありました。

この正面の日室ヶ岳(岩戸山)は、神霊降臨の神体山 ということです。

頂上に磐座らしき巨岩があって、皇大神社はこの山頂にあったのではないかと考えられているそうです。

10分ほどでしょうか、天岩戸神社 のある渓谷へ下る入口に着きました。

大江山に源を発する宮川の渓谷ですが、これを下れば登り返さないといけません。

だ~れも居ないし、渓谷へ下りて熊に出くわしたら、一巻の終わりです。

Vサイン、ビシッ! ビシッ! 行くぞ!

写真は載せていませんが、この鳥居の手前反対側に遙拝所があります。

神様が湯あみをしたという産釜・産だらいという大きな甌穴をのぞく場所もありました。

それでは、鳥居をくぐり、更に渓谷へ下っていきます。

おおっ、岩壁にはりつくように鎮座した 天岩戸神社 がありました。

矢印で示した鎖を持って登り、お参りをします。

天照皇大神がお隠れになったという伝説の地。いやあ、秘境です。

天降った神々が座したと伝えられる巨岩「御座石」や、神楽を舞ったと伝えられる巨岩「神楽石」がどれなのかはっきりとは同定できませんでしたが、うっそうと茂る天然林とともに、神秘的な雰囲気を感じることができました。

渓流にはアマゴらしき渓流魚も泳いでいましたし。

この元伊勢内宮皇大神社と、伊吹山・伊弉諾神宮・熊野本宮大社・伊勢神宮内宮を合わせて「 近畿五芒星 」というんだそうです。これら5つの聖地を結ぶと巨大な五芒星が現れる近畿のパワースポットなんだとか。初めて知りました。

 

「マムシ草だ」などと豊かな自然を楽しみながら近畿自然歩道「大江山伝説のみち」を下ってくると、

げーーっ! やっぱり出るんやん! こわ~~

宿場町・平福を歩く

兵庫県の西部、岡山県との県境に近い 佐用郡佐用町平福 は、城下町 でもあり 宿場町 でもあります。

6/1(月)に 平福(ひらふく)をぶらぶら歩いてきました。

 

宿場町・平福について

姫路を出た 因幡街道 は、①飾西宿(しきさい)・②觜崎宿(はしさき)・③千本宿・④三日月宿を経て、⑤佐用宿で出雲街道と分かれます。

で、その先No.⑥が「 平福 」です。

平福の次は、岡山県美作市の⑦大原宿になります。

また、佐用宿で分かれた 出雲街道 の次は、同じく美作市の⑧土居宿です。

宿場町をぶらぶら

ここが宿場町の真ん中辺りで、大きな提灯がぶら下がっていました。

「 星の宿 花の平福 」と書いてあります。

提灯の後ろが「 本陣跡 」なんですが、説明板を読んで、びっくり!

鳥取池田藩 の陣屋跡、加古郡神吉城 の落城により 神宮頼定 の子、家臣(当時8歳)が再興を願って平福にきました。関ヶ原の戦いに参加しての帰国後、ここを本陣として大年寄りになりました。

鳥取池田藩? 姫路池田藩じゃないの?

加古郡神吉城? 神宮頼定? あの神吉頼定のこと?

家臣(当時8歳)? なんで城主の子ではなくて家臣の年齢をわざわざ示すの?

初見では???マークのオンパレードでしたが、何度か読み返してみると、鳥取藩が参勤交代の時に使う本陣 の意味なのかな・・・たぶん

それに、秀吉の播磨攻めの時、別所方で戦った神吉頼定の子どもが佐用に落ち延びてきていたとは知りませんでした。驚きです。

でも「神宮頼定」が気になる! 誤記というか、間違い?

本陣跡から南、作用方向に歩いたあたり。街道の趣があるなあ。

平福の紹介でよく使われる「川端風景」

佐用川沿いに江戸時代の土蔵群が残っているんですね。

鳥取・岡山・兵庫の3県が出資する第三セクター鉄道「 智頭急行 」(ちづ)の平福駅です。

国鉄の時代から計画されていた智頭線が、いろいろあって、第三セクター鉄道として1994(H6)年に開業しました。

特急「スーパーはくと」やイベント列車「あまつぼし」が走っていますね。

道の駅・宿場町ひらふく でお昼ご飯。

「ホルモン焼きうどん」にしようか迷ったけど、定番に(笑)

「しかコロッケ」も食べておけばよかったなぁ。

 

城下町・平福について

373mの山頂にある 利神城(りかん)です。 別称:雲突城

APS-Cサイズのカメラに18-55mmのレンズだったので、寄ってもココまで(笑)

 

平福が城下町となったのは、関ヶ原の戦いの後に 池田由之 が平福藩2万2千石の領主となってからです。

この池田由之の父は 池田元助 、祖父は 池田恒興 です。父と祖父は小牧・長久手の戦いで討死。

姫路藩主・池田輝政 からすると、お兄さんの子どもに当たります。

池田由之は、南北朝期の赤松氏の山城を拡張し、山麓にも城主屋敷や武家屋敷を配して城下町としての町割を整えました。

しかし30年ほどで池田家の支配も終わり、後は幕府旗本領となったようで、城下町としては、江戸時代初期のごく僅かな期間ということになります。

 

現在、登山道の荒廃や石垣崩落の危険性があることから、利神城への一般の入山は禁止されているようです。

ただ、佐用山城ガイド協会が実施する「 利神城ガイドツアー 」に参加すれば登山可能だとのこと。(3000円)

 

台風前のおだやかな陽気の下、のんびりと平福の町を散策できました。

尚、平福郷土館 は土・日・祝日しか開いていません。残念でした。

国宝・古井家住宅のついでに安志藩を調べてみました

古井家住宅のある 安富町 には、江戸時代、「 安志藩 」(あんじ)がありました。

少し調べてみると、

 ・安志藩主は、信濃守護だった 小笠原氏 の流れをくむ

 ・でも、古井家住宅のある「皆河」地区は姫路藩領だった

ということが分かってきました。

① 前記事で取り上げた 国宝「 古井家住宅 」

② 安志藩の陣屋跡

③ 3月に行った森家の三日月藩陣屋

あと、④建部家の林田藩陣屋,⑤本多家の山崎城(天守はない)

それから、大藩である ⑥赤穂城 と ⑦姫路城

 

信濃国の守護だった小笠原氏

小笠原長時 は松本市にあった原城に拠って信濃守護を務めていました。

しかし、武田信玄に攻められて没落。同族の三好長慶を頼って上洛します。

子・貞慶で復権、孫・秀政で飛躍

長時の子・貞慶(さだよし)、三好長慶 → 織田信長 → 徳川家康に仕え、孫の 秀政 には家康の孫娘・登久姫を正室に迎え、徳川との結びつきを強めます。

秀政 は、下総古河3万石、さらに祖先の地・松本8万石へ加増されて、完全復活となります。

しかし、大坂夏の陣で秀政と長男・忠脩(ただなが)が戦死!

秀政戦死後の小笠原家

上記「秀政には家康の孫娘・登久姫を正室に迎え」という「 登久姫 」は、家康の長男・信康と信長の娘・五徳姫の間に生まれた子です。

長男・忠脩(ただなが)が戦死した時、子ども(長次)はまだ母親のお腹の中だったそうで、弟の忠真(ただざね)が継ぐことになります。

九州の玄関口を小笠原3藩で固める

  • 豊前小倉藩(15万石) 秀政次男・忠真(惣領家)
  • 豊前中津藩(8万石) 秀政長男・忠脩の子である 長次
  • 豊後杵築藩(4万石) 秀政3男・忠知 → 4男重直の系統

幕府は、1632(寛永9)年に細川家を熊本へ移封します。

で、空白となった北九州の守りを小笠原家に任せたということらしいですね。

安志藩につながる系統

豊前中津藩(8万石)で、秀政長男・忠脩の子・長次の系統 です。

中津藩第5代藩主が幼くして亡くなってしまい、無嗣改易となります。

しかし、幕府は、「祖先の勤労」により、その弟をもって 播磨安志1万石 に移封立藩することで存続を許します。

「祖先の勤労」とは、貞慶・秀政の家康への奉公そして大坂夏の陣での秀政・忠脩父子の戦死ということでしょう。また、秀政が家康の孫娘を正室に迎え、その孫娘が産んだ子どもたちの子孫が各藩主を務めていることも大きかったと思います。

 

藩祖・長次は、豊前中津に行く前は播磨龍野藩主でした。

同じ播磨国とはいえ、大幅な減封の上、城もなく、領地も安志村のほかに佐用郡や赤穂郡に散らばっていたようで、さぞきびしかったことでしょう。

尚、安志陣屋跡 には石碑が建つのみで、城門が姫路市街に近いお寺に移築されているそうです。

城を持てない小藩の大名にもそれぞれに歴史があり、興味深いです。

陣屋に興味が湧いてきました。機会があれば他にも調べてみようと思います。

国宝となる室町時代の古民家を見てきました

22日に「 兵庫県の古民家2棟、初の国宝指定 」というニュースが出ました。

① 姫路市安富町の「 旧古井家住宅

② 神戸市北区の「 箱木(はこぎ)家住宅主屋

②の「 箱木千年家 」には行ったことがあるので、①の安富町(やすとみ)「 旧古井家住宅 」に23日(土)に行ってきました。

ちなみに、姫路市安富町は、合併前は宍粟郡(しそう)でした。

 

県道430号東河内安富線と林田川の間の駐車スペースから「 旧古井家住宅 」を望みます。密集した民家の中にありますね。

建築当初から現在まで同じ場所で維持されており、それも国宝指定の評価点だそうです。

家の構造は「 入り母屋造りの茅葺き屋根 」です。

建築年代は、文献資料では明らかではないが、建築技法から 15世紀ごろ(室町時代中期)と考えられるそうです。

古井家は、有力農民の 名主(みょうしゅ)と伝わる家。

こちらに対して、「箱木家住宅主屋」は14世紀ごろと更に古く、中世の土豪の住まいです。ただ、昭和50年代にダム建設のため移築されています。

それでは住宅内に入ってみます(写真OKでした)

住宅内に入ると土間の「 にわ 」です。

かまどの前に独立柱が立っています。

居間の「おもて」にも独立柱が3本。これは太い大黒柱がなくて1間ごとに柱が建ち並ぶ構造のためかな。

土間の入口付近には「 うまや 」があります。

居室側は「 前座敷型三間取 」(まえざしきがたみまどり)という3室構造。

ここは囲炉裏のある「 ちゃのま 」で、奥に「 なんど 」。

写真では分かりにくいですが、囲炉裏の奥の床は「 すのこ竹 」でした。

木材の板は貴重だったのでしょうね。

 

この2室の入口側に広い板床の「 おもて 」があります。

居室を3室に区切る構造を「三間取」、そして正面側を広い1室としたものを「前座敷型」、土間側を広い1室としたものを「広間型」と呼ぶそうです。

柱や梁も、床や壁板も「 ちょうな 」の跡が残っています。

家の裏側ですが、軒が低く、開口部が少なく採光はあまりされないことが分かります。

また、柱が見えないこのような工法を「 大壁造 」(おおかべづくり)というそうです。

入口の左側ですが、これは「お風呂」だそうです。

最初、トイレかと思ったのですが、姫路市教育委員会の方にお話を聞いていると「お風呂」だと。外側の汲み取り口だと思ったのは、焚き口なんですね。

入口の右側、「うまや」側のこちらが「 トイレ 」。

やはりトイレはこちらですよね。またぐ板が渡してあります(笑)

国宝指定までの経過は

1967(S42)年  国の 重要文化財 に指定

1970(S45)年  国庫補助事業で 半解体修理

  この時、古材や技法保存を考慮しながら後世の改変箇所を建築当時の姿に

  復元したとのこと。田の字型の「四間取」になっていたそうです。

1997(H9)年  茅葺き屋根の葺き替え

1999(H11)年  宍粟郡安富町が購入

2026(R8)年  国宝指定へ

(指定概要)現存最古級の古民家で、顕著な古式を示しており、我が国の中世民家史を考える上で欠くことができない重要な遺構である。中世の上層民家の生活を紐解くうえで貴重であり、中世の景観を伝える民家建築として深い文化的意義を有する。

見学に行かれる場合は、休日・祝日でないと中に入られません。ご注意を。

Googleレンズ片手に散歩

脚力維持のため散歩をするのですが、目に留まる草花を観察していると、歩くスピードが出ません(笑)

ピントが合っていませんが、野草の写真4枚、紹介します。

マメ科の野草で「 ナヨクサフジ 」か「 クサフジ 」かと思っています。

帰宅して調べてみると、「ナヨクサフジ」と「クサフジ」の見分け方は、毛が生えているかどうからしいです。

特に茎に毛が生えていて白っぽくなっているのが「ナヨクサフジ」、「クサフジ」はほとんど毛が生えておらずツルっとしているそうです。

次の散歩で確認します。

ウサギノオ 」かな。

園芸店では「ラビットテールグラス」とか「ラグラス」の名で流通しているそうです。

地中海沿岸が原産地のイネ科の一年草。

草丈は低く、風に揺れていて、そっと触れてみたくなる野草ですね。

調べてみると「 コメツブツメクサ(米粒詰草)」 で間違いなさそうです。

ヨーロッパ原産で、明治以降に帰化し、今では全国で普通に見られるマメ科の野草とのこと。

上の「ウサギノオ」と混在して咲いていました。

チガヤ(茅)」でしょうか。自信がありません。

もし「チガヤ」なら、茅葺き屋根や茅の輪くぐりの材料で、古くから日本の生活に関わる植物ですよね。

 

野鳥も多いです。

鳴き声の一番は「 うぐいす 」ですが、姿は現しませんね。

 

散歩の時間も考えないと、汗をかく暑さになってきました。

歩くコースによってはコンビニに寄り道。

妻には内緒ですが、おじいさんがひとり、コンビニのベンチに座ってアイスクリームを食べています(笑)

ビールはいけません。帰ったときにバレます!