小さなアマチュア無線局のブログ

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用事があって姫路の街へ

7/14(火)、用事があって久し振りに姫路の街へ。

JR姫路駅を北側に出ると「 大手前通り 」です。

幅50mの広い道路で、1㎞ほど先の 姫路城天守 の景観をそこなわないように整備されています。電柱もありませんよね。

姫路城天守を望む

① まず定番。南から望む。

私は、大手前通りのどん付き(関西弁?)の姫路城前交差点から撮りました。

ほとんどの観光客はこの「 桜門 」から入りますね。

② 観光客があまり来ない撮影ポイントです。

私も初めて撮りましたが、「鯱と天守」なかなか良いなあと思いました。

桜門から東に進んだ「城見台公園」で、交差点を挟んで反対側に姫路郵便局があるところです。

③ 姫路城の東側にある「 喜斎門 」から「 三の丸広場 」に抜けるところ。

帯の櫓 」とその高石垣だと思います。

姫路城でいちばん高い石垣ではなかったかな。

姫路城の観光案内ではなかなか出てこないアングルだと思います。

お昼ごはんは卵かけごはん

用事を済ませた後、「喜斎門」→「三の丸広場」→「桜門」と抜けて、門前にある「 たまごや 」さんへ。

この「たまごや」さんは、夢前町の養鶏場が営まれている卵かけごはんの専門店です。

看板の「夢そだち」は卵の名前です。

いただいたのは、たまごや人気No.1メニューの「 玉かけめし

卵とご飯はお替わり無料。制限なし!

左が1杯目。右がお替わり(半膳)。どちらも 卵2個がけ

卵かけごはんは飲みものだねぇ。

また、暑くて汗ダラダラでのビールの旨いこと旨いこと!

空きっ腹で飲んだので、だいぶん回ったけど(笑)

暑い! 早く帰ろう!

これは、国道2号線沿いに残る 大手前石垣群 です。

2号線は 中堀 を埋めて作られたと聞いたことがありますね。

マンホールの蓋も姫路城。それもカラー。

この日の姫路市街の最高気温は 33.9℃だったようだけど、体感的には猛暑・酷暑ですね。体力の落ちてきている身にはつらいです。

この暑さの中でも、海外からの観光客はまあまあの数がありました。

体調に気を付けて登城してほしいものです。

NHK大河ドラマ特別展「豊臣兄弟!」見てきました

7/10(金)、大阪歴史博物館まで特別展「豊臣兄弟!」を見に行ってきました。

春に徳川美術館で、秋には江戸東京博物館でも開催される巡回展です。

ホールでは5人がお出迎え。

写真撮影が許されているのは、この「豊臣秀長公像」だけでした。

奈良県南部の壺阪寺所蔵のものです。

国宝も島津義久や安国寺恵瓊の書状などちらほらとあるのですが、ちょっと私が期待していたものとは違うかなあと思いました。

私は古文書がほぼ読めないのだぁ・・・

刀剣類はたくさん展示されていましたが、甲冑類では、藤堂高虎所用とされる具足一式と他に兜と腹巻が1点ずつ。ちょっともの足りないなあ。

お昼は、博物館のレストランで、特別展とコラボしたスペシャルメニュー「豊臣兄弟御膳」をいただきました。

鶏肉が味噌漬けで煮物の人参がひょうたん形でした。

車で行ったのでビールは無し! 天ざるでもない!(笑)

次、この2つ行こうかなあと思っています。

豊臣兄弟と大絶滅展が2000円、源氏物語は2200円。

いつのまにか博物館も高くなりましたね。

明智光秀の福知山城を攻めてきました

「元伊勢内宮皇大神社」に参った帰りに、福知山城(№③)に寄りました。

明智光秀の丹波攻めに関係の深い城について

№① 坂本城(滋賀県大津市)

信長の家臣として初めて城持ちとなったのが明智光秀でしたが、その城です。

山崎の戦いの後、家臣の明智秀満が籠城しましたが、秀満は自害、城は焼失しました。

№② 亀山城(京都府亀岡市)

丹波攻めの拠点。

また、光秀は、本能寺の変の際、この城から出陣 しています。

余談ですが、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」の次回7/12は 本能寺の変 ですね。

今回、足利義昭から届いた「信長を討て」という御内書について、織田信澄 が「あれを書いたのはこのわたくしでございます」と衝撃の告白を口にしました。

要潤さん(明智光秀)と共に「ええっ!! うそやん!?」でしたね(笑)

来週、本能寺の変はどのように描かれるのでしょうか。楽しみです。

江戸時代にも丹波亀山藩の藩庁として存続。

尚、明治時代に 亀山 の地名を 亀岡 に改称しています。

 

№③ 福知山城(京都府福知山市)

丹波平定後に、光秀が丹波領国経営の中心地として普請を命じた城 です。

江戸時代にも福知山藩の藩庁として存続。

№④ 周山城(京都市右京区)

丹波平定後に、京都北西の軍事の要衝として築城したとされていますが、光秀敗死後は使用されなくなり廃城となったそうです。

 

№⑤は 黒井城 、№⑥は 八上城 、共に光秀と闘った丹波の国人の城です。

 

では、福知山城を攻城!

福知山城の東側に駐車場があります。そこからの眺めです。

駐車場の隣は、「ゆらのガーデン」という食事もできるおしゃれなエリアでした。

昭和61(1986)年に再建された 大天守 です。

石垣は、光秀時代のもので、野面積。

転用石」が非常に多く使われていますね。

明治の 廃城令 により、天守周辺の石垣と二ノ丸の登城口にあった胴門(あかがねもん)を残して、大半が取り壊されたそうです。

左側は昭和59(1984)年撮影。本丸の高石垣は8mとのこと。

右側は昭和48(1973)年撮影。天守台には朝暉神社(あさひ)と胴門があったとのこと。

この 朝暉神社 は、江戸時代の福知山城主・朽木(くつき)氏を祭る神社だそうで、現在は、本丸内の天守の東側に移築されています。

また、胴門は当時、天守台に移築されていましたが、現在は、本丸内の天守の西側に再移築されています。

天守4階の望楼から北側を望みます。大江山方面です。

右側の小天守の屋根越しに見えるのが「明智藪」だと思います。

光秀が由良川の氾濫を抑えるために築いたといわれるものですね。

1階2階は光秀や朽木氏の資料が展示されています。(入館料360円)

朝暉神社の前から、大天守と小天守を撮りました。

 

〔 展示資料より知れたこと 〕

◇福知山城に光秀は常在したわけではなく、娘婿の明智秀満を城代としていたそうです。

◇この福知山城は、江戸時代前期の絵図と天守台の発掘調査をもとにした外観復元的な再建だそうです。

ですから、天守台の石垣には光秀時代のものが残っているけど、天守は光秀時代のものを忠実に復元したものではないということです。

尚、大天守の資料館受付の方々、丁寧な対応でたいへん感じが良かったです。

「もと伊勢」に参ってきました

「もと伊勢」って、ご存知ですか?

元伊勢 」とは、伊勢神宮 が現在の三重県伊勢市に鎮座する前に、一時的に祀られた神社や場所のことをいうそうです。

その伝承の地は畿内を中心にたくさんあるのですが、今回、京都府福知山市大江町の「 元伊勢内宮 皇大神社 」(こうたいじんじゃ)に行ってきました。

「元伊勢内宮皇大神社」(No.①)のある 福知山市大江町 は、H18年の合併前は加佐郡大江町でした。現在、加佐郡は合併により消滅しています。

この大江町は、大江山(No.②)の 鬼伝説 で有名な地です。

町のいたるところに「鬼」がいましたよ(笑)

No.③は 日本三景 のひとつ「 天橋立 」ですが、最近、熊の出没でニュースとなっていますよね。

それではお参りしましょう

駐車場は、500円を簡易な木箱に入れる仕組みでした。

参道は220段の石段を登ります。

麻呂子杉 」と呼ばれる樹齢千年以上とされる大木もあって、歴史のあるお社だなと感じます。

この「麻呂子杉」の名称は、聖徳太子の弟である麻呂子親王による鬼退治伝説から来ているそうです。

大江山に、平安中期の 源頼光 による 酒呑童子 退治の前にも鬼退治伝説があったなんて知りませんでしたね。

本殿に着きました。ご祭神は 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)

この鳥居は「 黒木の鳥居 」ですね。

樹皮のついた丸太のままの木で造る最も素朴で原初的な様式の鳥居です。

本殿は、伊勢神宮と同じ「 神明造 」で、茅葺です。

やはり、古来の簡素で素朴な建築様式を今に伝えています。

この神社にも60年毎の式年造替の定めがあるそうです。

これは、樹齢2千年と伝えられるご神木「龍灯の杉」

節分の夜、この巨木の梢に龍王が天照皇大神に神灯を捧げる。その灯は、下枝から次第に上枝へと昇ってやがて天に至るという神秘的な伝説があるとのこと。

本殿の周りには80余の小宮があります。

手前の少し大きなお社は、興玉神(おきたまのかみ)が祀られていました。

興玉神は、内宮の守護神として位置づけられ、清めや再生を司る重要な存在なんだそうです。知らなかったあ。

貴船神社など、行ったことも聞いたこともある神社の小宮が並んでいました。

次、天岩戸神社まで足を伸ばそう

この 皇大神社(内宮)と奥にある 天岩戸神社 、それに少し離れた 豊受大神社(外宮)を合わせて、「 元伊勢三社 」というそうです。

ほんとにお参りしている人が少なく、熊が・・・こわい

天橋立に出るぐらいだからここにも居そう

もし襲われたら目つぶしで闘うぞっと、指でVサインの練習をマジでした(笑)

途中、「 日室ヶ岳遙拝所 」という場所がありました。

この正面の日室ヶ岳(岩戸山)は、神霊降臨の神体山 ということです。

頂上に磐座らしき巨岩があって、皇大神社はこの山頂にあったのではないかと考えられているそうです。

10分ほどでしょうか、天岩戸神社 のある渓谷へ下る入口に着きました。

大江山に源を発する宮川の渓谷ですが、これを下れば登り返さないといけません。

だ~れも居ないし、渓谷へ下りて熊に出くわしたら、一巻の終わりです。

Vサイン、ビシッ! ビシッ! 行くぞ!

写真は載せていませんが、この鳥居の手前反対側に遙拝所があります。

神様が湯あみをしたという産釜・産だらいという大きな甌穴をのぞく場所もありました。

それでは、鳥居をくぐり、更に渓谷へ下っていきます。

おおっ、岩壁にはりつくように鎮座した 天岩戸神社 がありました。

矢印で示した鎖を持って登り、お参りをします。

天照皇大神がお隠れになったという伝説の地。いやあ、秘境です。

天降った神々が座したと伝えられる巨岩「御座石」や、神楽を舞ったと伝えられる巨岩「神楽石」がどれなのかはっきりとは同定できませんでしたが、うっそうと茂る天然林とともに、神秘的な雰囲気を感じることができました。

渓流にはアマゴらしき渓流魚も泳いでいましたし。

この元伊勢内宮皇大神社と、伊吹山・伊弉諾神宮・熊野本宮大社・伊勢神宮内宮を合わせて「 近畿五芒星 」というんだそうです。これら5つの聖地を結ぶと巨大な五芒星が現れる近畿のパワースポットなんだとか。初めて知りました。

 

「マムシ草だ」などと豊かな自然を楽しみながら近畿自然歩道「大江山伝説のみち」を下ってくると、

げーーっ! やっぱり出るんやん! こわ~~

宿場町・平福を歩く

兵庫県の西部、岡山県との県境に近い 佐用郡佐用町平福 は、城下町 でもあり 宿場町 でもあります。

6/1(月)に 平福(ひらふく)をぶらぶら歩いてきました。

 

宿場町・平福について

姫路を出た 因幡街道 は、①飾西宿(しきさい)・②觜崎宿(はしさき)・③千本宿・④三日月宿を経て、⑤佐用宿で出雲街道と分かれます。

で、その先No.⑥が「 平福 」です。

平福の次は、岡山県美作市の⑦大原宿になります。

また、佐用宿で分かれた 出雲街道 の次は、同じく美作市の⑧土居宿です。

宿場町をぶらぶら

ここが宿場町の真ん中辺りで、大きな提灯がぶら下がっていました。

「 星の宿 花の平福 」と書いてあります。

提灯の後ろが「 本陣跡 」なんですが、説明板を読んで、びっくり!

鳥取池田藩 の陣屋跡、加古郡神吉城 の落城により 神宮頼定 の子、家臣(当時8歳)が再興を願って平福にきました。関ヶ原の戦いに参加しての帰国後、ここを本陣として大年寄りになりました。

鳥取池田藩? 姫路池田藩じゃないの?

加古郡神吉城? 神宮頼定? あの神吉頼定のこと?

家臣(当時8歳)? なんで城主の子ではなくて家臣の年齢をわざわざ示すの?

初見では???マークのオンパレードでしたが、何度か読み返してみると、鳥取藩が参勤交代の時に使う本陣 の意味なのかな・・・たぶん

それに、秀吉の播磨攻めの時、別所方で戦った神吉頼定の子どもが佐用に落ち延びてきていたとは知りませんでした。驚きです。

でも「神宮頼定」が気になる! 誤記というか、間違い?

本陣跡から南、作用方向に歩いたあたり。街道の趣があるなあ。

平福の紹介でよく使われる「川端風景」

佐用川沿いに江戸時代の土蔵群が残っているんですね。

鳥取・岡山・兵庫の3県が出資する第三セクター鉄道「 智頭急行 」(ちづ)の平福駅です。

国鉄の時代から計画されていた智頭線が、いろいろあって、第三セクター鉄道として1994(H6)年に開業しました。

特急「スーパーはくと」やイベント列車「あまつぼし」が走っていますね。

道の駅・宿場町ひらふく でお昼ご飯。

「ホルモン焼きうどん」にしようか迷ったけど、定番に(笑)

「しかコロッケ」も食べておけばよかったなぁ。

 

城下町・平福について

373mの山頂にある 利神城(りかん)です。 別称:雲突城

APS-Cサイズのカメラに18-55mmのレンズだったので、寄ってもココまで(笑)

 

平福が城下町となったのは、関ヶ原の戦いの後に 池田由之 が平福藩2万2千石の領主となってからです。

この池田由之の父は 池田元助 、祖父は 池田恒興 です。父と祖父は小牧・長久手の戦いで討死。

姫路藩主・池田輝政 からすると、お兄さんの子どもに当たります。

池田由之は、南北朝期の赤松氏の山城を拡張し、山麓にも城主屋敷や武家屋敷を配して城下町としての町割を整えました。

しかし30年ほどで池田家の支配も終わり、後は幕府旗本領となったようで、城下町としては、江戸時代初期のごく僅かな期間ということになります。

 

現在、登山道の荒廃や石垣崩落の危険性があることから、利神城への一般の入山は禁止されているようです。

ただ、佐用山城ガイド協会が実施する「 利神城ガイドツアー 」に参加すれば登山可能だとのこと。(3000円)

 

台風前のおだやかな陽気の下、のんびりと平福の町を散策できました。

尚、平福郷土館 は土・日・祝日しか開いていません。残念でした。