小さなアマチュア無線局のブログ

無線をメインに お酒 博物館 外遊び

山城の酒蔵① 佐々木酒造

佐々木酒造 」さんは、洛中 にある造り酒屋さんです。

上京区。二条城の北側。創業は明治26年とのこと。

京都の酒処というと 伏見 が思い浮かびますが、昔は伏見より洛中の方が蔵元の数も生産量も多かったんだそうです。

f:id:kasagokawahagi:20220417094429j:plain

ここで、HPから社長さんのご挨拶を引用させてもらいます。

私は男3人兄弟の末っ子で、まさか酒屋を継ぐことになるとは思っておりませんでした。

二番目の兄 が跡を継ぐべくして、神戸大学農学部に行ってバイオテクノロジーの研究や酒米の研究っていうテーマで卒論書いたりして、着々と酒造家の道を歩んでいたのですが、突然「俳優になる」と言って出ていってしまいました

いつも自己紹介のところで佐々木酒造です、と言ってもあまり皆さんご存じない感じなのですが、最近は 俳優の 佐々木蔵之介 の弟です、というと結構知ってくださる方があって、うれしいような複雑な気分です。
まあ、そんなことで、大学では中国文学科だった私が嫌々酒屋を継ぐことになったわけです。

f:id:kasagokawahagi:20220417095204p:plain

そう、この酒蔵は、俳優で活躍中の 佐々木蔵之介 さんの実家なのです。

f:id:kasagokawahagi:20220417095605j:plain

f:id:kasagokawahagi:20220417095616j:plain

社長さん自ら、対応してくださいました。

酒棚の写真撮影も気さくに承諾してくださいました。

f:id:kasagokawahagi:20220417095626j:plain

何を買おうか迷ったのですが、選んだのは次の2本。

JRに徒歩だったので、300ml瓶にしました。

  聚楽第 純米吟醸

  古都  純米吟醸原酒

記念に 蛇の目利き猪口 も買いました。

f:id:kasagokawahagi:20220417100022j:plain

佐々木酒造さんは、豊臣秀吉 聚楽第があった場所の南端にあたるそうで、主要銘柄に「 聚楽第 」の名を冠しておられるようです。

また、「 古都 」は 川端康成 が愛した酒だそうです。

f:id:kasagokawahagi:20220417100712j:plain

2022.04.16.にお伺いしましたが、その晩早速、この利き猪口で 聚楽第 を呑みました。呑みやすい酒で美味しかったですね。300mlは直ぐに無くなってしまいますけど・・・

京都散策 大徳寺から千本通り(その2)

4/9 京都散策の後半です。

f:id:kasagokawahagi:20220410160051j:plain

まず、「 千本通 」 とは

千本通り 」は、死者を運ぶ道。

地図の青い丸囲みが 船岡山 で、その北西あたりを「 蓮台野 」といいます。

この「 蓮台野 」と洛西の「 化野 」、洛東の「 鳥辺野 」が、平安京の葬送の地だったそうです。

人々は、この道を通って亡くなった者を「 蓮台野 」へ運び、その場に置いて風化させたのだそうな。風葬 ですね。

千本通りには、通りに沿って死者を弔う多くの 卒塔婆(そとば)が立ち並んでいた事から、いつのことからか「 千本通」と称されるようになったとのことです。

そうそう、この千本通り、平安京のメインストリート「 朱雀大路 」でもあります。

千本ゑんま堂 あの世への入口 No.⑤

平安時代に生きた 小野 篁 には、この世とあの世を行き来する神通力があり、昼は宮中に赴き、夜は 閻魔 様に仕えたとの伝説を残しています。

その 小野 篁 が、亡き先祖を再びこの世へ迎える「精霊迎えの法」の根本道場として建立した祠が「 千本ゑんま堂 」の始まりとされています。

この辺りの地名は今でも「 閻魔前町 」といい、葬送地「蓮台野」と平安京の境だったのでしょう。

f:id:kasagokawahagi:20220410163821j:plain

f:id:kasagokawahagi:20220410163830j:plain

f:id:kasagokawahagi:20220410163841j:plain

小野篁や鳥辺野の記事はこちら ↓ )

釘抜地蔵 No.⑥

石造の 地蔵菩薩立像 は、弘法大師 の作と伝えられており、もろもろの苦しみを抜き取ってくれるという「 苦抜(くぬき)地蔵 」がなまって「 釘抜地蔵 」と呼ばれるようになったとか。

「釘」は苦しみの象徴で、あらゆる病や苦しみは釘が刺さった事が原因とされ、地蔵菩薩に祈願すると「釘抜き(平癒)」の救済があると信じられてきたそうです。

そして、苦しみから解放されたら、2本の八寸釘と釘抜きを張り付けた「御礼絵馬」を奉納するのが習わしなんだとか。

本堂の壁にびっしりと貼り付けられていました。

f:id:kasagokawahagi:20220410165649j:plain

千本釈迦堂 おかめさんに会いに行こう No.⑦

f:id:kasagokawahagi:20220410203549j:plain

千本釈迦堂 の名前の由来は、

本尊の釈迦如来坐像が、古来より厚く信仰されている。

近くに南北に走る千本通りがある。

千本の卒塔婆が道に立てられていた。 など、諸説あるようです。

この 千本釈迦堂 は、鎌倉時代初期の創建で、その本堂は 応仁の乱 の災火をも免れた京都最古の建造物なんだとか。国宝に指定されています。

f:id:kasagokawahagi:20220410204051j:plain

本堂前のしだれ桜は、「 阿亀桜(おかめざくら)」と言います。

この「 阿亀桜」の右側に、大きな「 阿亀 」さんの像がありました。

ここで「 阿亀 」の由来を

阿亀 」とは、本堂建築で棟梁を務めた大工の妻でした。その棟梁が本堂を建築していた時、重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎ、責任ある棟梁として苦悩している時に「枡組で補えばどうか」と助言して、夫の窮地を救ったのです。
これにより夫は工事を無事に成し遂げる事になりましたが、「専門家でもない女の知恵で棟梁が大仕事を成し得たと言われては夫の恥」と、上棟式を迎える前に「阿亀」は自害してしまいました。

現在でも人々は、この「阿亀」のふくよかな笑顔と夫想いの明るい人柄を偲び、悲話の主人公「阿亀」のように「 助け合う円満な夫婦であり続けたい 」とお参りするのだそうです。

あぁ、手、合わせとこ。

ここの仏像は、お寺に申し込まないといけなくて、見てこなかった。

快慶作という「十大弟子像」なんか、見ておけばよかった。後悔。

等持院 足利将軍像を見に行こう No.⑧

最後に、ちょっと足を伸ばして「 等持院 」へ。

ここでもアプリ「 歩くまち京都 バス・鉄道の達人 」を使って、市営バスと「嵐電(らんでん)」を乗り継いで行きました。

f:id:kasagokawahagi:20220410221654j:plain

嵐電 」とは、京福電気鉄道嵐山本線のこと。

嵐電」でのICカードですが、全線均一運賃なので乗るときのタッチは不要。

降りるときにリーダーにタッチするのですが、有人駅では改札口で、無人駅では車掌さんのいる車両のリーダーにタッチするんです! まごつきました!!

f:id:kasagokawahagi:20220410212830j:plain

等持院 は、臨済宗天龍寺派のお寺で、足利氏 菩提寺です。

f:id:kasagokawahagi:20220410213210j:plain

この「 霊光殿 」の中に、歴代の足利将軍像が安置されています。

ここも写真撮影はNGだったので、HPからの引用です。

このような歴代将軍像が左右にずらっと並んでいます。

f:id:kasagokawahagi:20220410213606j:plain

f:id:kasagokawahagi:20220410213939j:plain

この庭園は、夢窓国師 の作庭だそうです。

この日もだいぶん歩いたので、座敷に座ってぼーっと眺めていました。

参拝客は私の他に4、5組ぐらいだったので、静かな時間でしたね。

庭の奥にちょっと見えるのは立命館大学です。

f:id:kasagokawahagi:20220410214320j:plain

この宝筐印塔が、等持院殿・足利尊氏 のお墓です。

 

気持ちのよい京都散策でした。

ポピュラーではないエリアなのか、観光客もまばらな静かな京都でしたから。

ですが、帰りにJR山陰本線円町駅 から乗ったら、なんと満員!

これ、嵐山帰りの観光客だと思います。嵐山や東山はいっぱいだったのでしょうね。

 

次は、京都国立博物館最澄天台宗のすべて」(4/12開始)に行こうかなと考えています。

京都散策 大徳寺から千本通り(その1)

4/9(土)、コロナ第7波が押し寄せる前に、年度替わりのストレス発散に京都を歩いてきました。ポロシャツ1枚でも暑いぐらいの良い天気に恵まれて。

今回は 大徳寺 をメインに、千本通、そして、等持院

f:id:kasagokawahagi:20220410160006j:plain

2回に分けて記事にしますが、前半は、大徳寺周辺(①~④)です。

大徳寺へ行こう

京都市営地下鉄烏丸線北大路駅」で降りて、京都市営バスで「大徳寺前バス停」まで。

ここで、京都市営バス を使う時に、便利なアプリを紹介します。

歩くまち京都 バス・鉄道の達人

目的地を入力すると、現在地からバス・地下鉄・JR・私鉄・徒歩を組み合わせた経路を瞬時に提案してくれます。大いに助かっています。

京都散策では、交通系ICカード(私はPiTaPa)が便利ですが、京都市営バスの均一料金区間では、乗車時には何もしなくて、降りる時に運転手さんの横のリーダーにタッチすればOKです。知らなかったら、ちょっとまごつきますね。

大徳寺 って、どんなお寺

大徳寺は、洛北にある 臨済宗禅宗)のお寺。京都五山

鎌倉時代末期に、播磨の守護 赤松円心 の寄進により、大燈国師 が開創。

室町時代応仁の乱で荒廃したが、あの 一休和尚 が復興。

豊臣秀吉 織田信長 の葬儀を営み、信長の菩提をとむらうために 総見院 を建立。

大徳寺の山門を 千利休 が寄進し、利休の像が安置されたことから、秀吉の怒りをかい利休切腹へとつながったと言われています。

普段、そもそも大徳寺本坊が非公開で、他のほとんどの塔頭(24寺院)も非公開のところが多いのですが、現在、「 春の特別公開 」ということで、興臨院黄梅院総見院 が拝観できます。青囲みの4寺院が常時公開です。

f:id:kasagokawahagi:20220410084344j:plain

黄梅院 見事な庭園 No.①

大徳寺総門を入り、左手に折れた道。

観光客もまばらで、ほんとに静かな京都。

f:id:kasagokawahagi:20220409220449j:plain

黄梅院 の門をくぐると石柱が4つ。

蒲生氏郷 のお墓? ええっ! 小早川隆景 のお墓!?

毛利元就 の一門の霊所だって?

f:id:kasagokawahagi:20220409220507j:plain

ここは、織田信長 が初めて上洛した際に、父・信秀 の追善菩提のために小庵「 黄梅庵 」を建立したことに始まるんだとか。

本能寺の変で信長が討たれると、羽柴秀吉 大徳寺で信長の葬儀を行い、「黄梅庵」も増築して「 黄梅院 」と名を改めたそう。

小早川隆景 は、庫裡、鐘楼、客殿などを寄進し、千利休 が、「 直中庭 」を作庭したとのこと。

下の写真は、門を入ったところの前庭。

これより先は写真撮影NG! 残念。

f:id:kasagokawahagi:20220409220517j:plain

写真が撮れなかった中の庭は、千利休 が66才の時に作庭したという「 直中庭(じきちゅうてい)」。

秀吉の瓢箪をかたどった池や、加藤清正 が朝鮮から持ち帰ったという灯籠が配された 苔一面の枯山水庭園。実に見事!!

日本庭園のいろはも分からない私だけど、今まで訪れた庭で一番かもしれない。

残念なことに写真が撮れなかったので、HPからの引用です。

f:id:kasagokawahagi:20220409223050j:plain

興臨院 No.②

千利休因縁の山門を見ながら、興臨院へと向かいます。

f:id:kasagokawahagi:20220410084543j:plain

興臨院 は、能登守護大名畠山義総 が建立して、畠山氏が没落した後は、能登を治める 前田利家 により庇護され、前田氏の菩提寺になったとのこと。

f:id:kasagokawahagi:20220409224939j:plain

f:id:kasagokawahagi:20220409224948j:plain

隣の瑞峯院は、大友宗鱗 菩提寺とのこと。

今回、あまり下調べをしていなかったので、へぇ~ということが多い(笑)

総見院 信長のお墓 No.③

羽柴秀吉 が、本能寺の変に倒れた 織田信長の追善菩提 のために建立したお寺。

本堂には秀吉が奉納した木造「 織田信長公坐像 」(重要文化財)が安置されています。

今回の京都散策のお目当てが、この信長座像。

これも写真撮影が駄目だったので、HPから引用します。

f:id:kasagokawahagi:20220409225900j:plain

皆さんも、学生時代の資料集とかで見たことがあると思います。

この信長座像、高さ三尺八寸の等身大で、信長の面影を良く伝えていると言われています。

2体彫られて、1体は、葬儀の際に荼毘にふされたそうです。

本堂に座りこの座像を間近に見ながら、お寺の由緒などを聞くことができました。

f:id:kasagokawahagi:20220409230720j:plain

これが信長公のお墓。うーん、ほんとにそうなの?

f:id:kasagokawahagi:20220409230754j:plain

濃姫正室)、お鍋の方(側室)のお墓まである。

f:id:kasagokawahagi:20220409230808j:plain

信長のお墓というのは、京都の他のお寺にもあったなあ。

( 信長の別のお墓の記事はこちら ↓ )

この井戸の井筒は、加藤清正 が朝鮮の役の時に船の重しとして持ち帰ったものとの謂われがあるらしい。今も現役の井戸です。

f:id:kasagokawahagi:20220409230824j:plain

この わびすけ(椿)は、秀吉 千利休 から譲り受けて植えたものとして伝えられているらしい。樹齢400年以上の日本最古の胡蝶侘助とあった。

f:id:kasagokawahagi:20220409230833j:plain

いやあ、良かったぁ~。

秋の紅葉シーズンにも来たいなあと余韻に浸りながら、すぐ北側の今宮神社へ。

今宮神社 あぶり餅を食べに行こう No.④

f:id:kasagokawahagi:20220410091651j:plain

ここは、今宮神社の東門に続く参道です。

あぶり餅 のお店、右手が「 一和 」さん、左手が「 かざりや 」さん。

一和 」さんの創業が平安時代中期、「 かざりや 」さんが江戸時代初期で日本最古の和菓子屋さんと言われ、テレビや雑誌でよく紹介されています。

この「 あぶり餅 」、一度食べてみたかったんだな。

f:id:kasagokawahagi:20220410093331j:plain

きな粉をまぶしたお餅を親指サイズにちぎって竹串に刺して、炭火であぶって香ばしい焦げ目をつけて、絶妙な甘さの特製白味噌だれを絡めて仕上げてあります。

この名物「 あぶり餅 」は、今宮神社 が、疫病を鎮める御霊会を行ったことに起源をもつお宮さんなので、その参拝帰りに病気封じ・厄除けのご利益のある門前菓子として食べられていて、今に伝わっているんだとか。

私は、「 一和 」さんに入りました。

女将さんが、炭火で餅をあぶっている様子がうかがえる軒先に腰掛けると、おぶうをどうぞ。」とお茶を出してくれました。京都らしくて良いなあ。

美味しかった! 白味噌だれもしつこくなくてちょうど良い感じ。

f:id:kasagokawahagi:20220410095125j:plain

f:id:kasagokawahagi:20220410113333j:plain

上の写真が「拝殿」、下が「楼門」。

お昼ご飯を探しに、楼門から今宮門前通りを南へ。

京都のお昼は蕎麦を食べることが多いのだけど、近くに蕎麦屋さんがなくてうどん屋さんへ。暑くてのどが渇いていたので、ビールでエネルギー補給。

「えっ、うどん1杯がこの値段?!」という京都プライスだったけど。

f:id:kasagokawahagi:20220410095858j:plain

千本通り周辺の京都散策は(その2)で近々アップします。

FIFAカタールW杯 スペインとドイツだ!

「2022 FIFAワールドカップ カタール大会」の組み合わせ抽選会が、2日に行われた。

ポッド3に入っていた日本は、グループEで、スペインとドイツと対戦。

あと1チームは、コスタリカニュージーランドで争われる大陸間プレーオフの勝者。

グループリーグ組み合わせ抽選会におけるポッド分け

ポッド分けは3月31日発表のFIFAランキングに基づき、開催国カタールFIFAランキング上位7チームがポッド1、以降は上位から8チームずつが計4ポッドに分かれる。

同一ポッド、同一大陸のチームは同じグループに入らない。

f:id:kasagokawahagi:20220402215011j:plain

おもしろいじゃないか!!

FIFAランク23位の 日本 が、7位の スペイン と12位の ドイツ とできるんだ!

ガチのスペインとドイツだ!

こんなおもしろいことはない!

守りに入るな! 真っ向勝負だ!

グループステージの日程

第1戦 11月23日(水)22:00  ドイツ

第2戦 11月27日(日)19:00  大陸間プレーオフ勝者

第3戦 12月2日(木) 04:00  スペイン

うわっ! スペイン戦は朝4時だ!

早起きして絶対に見るから、仕事きついな。

世界はどう見ている?

日本が入ったグループEは、スペインとドイツが順当に勝ち上がると見ているんだろうな。どちらも優勝経験国だしね。

スペインvsドイツは、「グループステージ最大の大一番」として世界中が注目するだろう。私も興味津々。絶対見る!

スペインもドイツも、まあ順当に勝ち上がれるラッキーなグループに入ったと思っているだろうけど、日本に足元をすくわれたら嫌だなあと考えたかな? 思わないか? うーん、どうなんだろう?

日本 SAMURAI BLUE、かき回してやれー !!

姫路城周辺散策

年度末の仕事もほぼ片付いたので、足馴らしのため兵庫県内の姫路城周辺を散策してきました。暖かいけど、あいにくの曇り空で、ちょっと残念。

f:id:kasagokawahagi:20220330174210j:plain

JR姫路駅を下りると、正面に 姫路城 が見えます。

この姫路城に続く道路が「 大手前通り 」(1955年完成)

歩道も含めて幅50mもある広い道路で、電柱もないので、姫路城を見通せるなかなかの景観です。

f:id:kasagokawahagi:20220330154635j:plain

木造和船 お堀巡り というのもやっていました。

姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」

姫路城の西南隅にあたるこの辺りには、本多忠政 が造営した 西御屋敷 武家屋敷 があったとのこと。

発掘調査の後、平成4年に姫路市制百周年記念で日本庭園として整備・開園されました。「 好古園 」という名前は、江戸時代最後の姫路藩酒井家 の藩校「 好古堂 」に因んで命名されたとのこと。

 

姫路城を借景とする好古園は、映画やドラマのロケーションがよく行われています。

f:id:kasagokawahagi:20220330161120j:plain

例えば、この渡り廊下では「 大岡越前

f:id:kasagokawahagi:20220330162002j:plain

他には「 るろうに剣心 」が

f:id:kasagokawahagi:20220330162038j:plain

f:id:kasagokawahagi:20220330162212j:plain

庭園の奥に見える建物は、姫路城西の丸 百間廊下 かな。

徳川秀忠 の娘「 千姫 」が、豊臣秀頼 と死別後に 本多忠刻本多忠勝の孫・本多忠政の子)と再婚して住んでいたのが姫路城のこのエリアだと言われています。

f:id:kasagokawahagi:20220330162230j:plain

まだ、時期早く色とりどりの草花が咲いているという感じではないし、その上曇り空なので、写真の雰囲気はイマイチですね。残念。

姫路城の桜

姫路城は、鎌倉時代から室町時代にかわる頃、赤松氏 が築いた小さな城が始まりとされており、戦国時代以降、西国統治の重要拠点として、羽柴秀吉池田輝政本多忠政 らが入城しています。

f:id:kasagokawahagi:20220330163155j:plain

f:id:kasagokawahagi:20220330163207j:plain

f:id:kasagokawahagi:20220330163216j:plain

やっとこの辺りでも桜が咲き出しましたね。

お昼ご飯を食べて

牡蠣フライ定食とスーパードライ。美味かった!

f:id:kasagokawahagi:20220330164213j:plain

大手前通りだけでも、和栗モンブランの専門店「栗歩」、ネパールインド料理「ダルバル」、まねき食品の「えきそば」(中華麺に和風だし)など、入ってみたい飲食店をいっぱい見つけました。
変わり種では、自衛隊の姫路地域事務所があって、自衛隊員の募集をしていたり。

やっぱり街ブラは楽しいなあ。

最後に、姫路市らしいマンホールの蓋。

f:id:kasagokawahagi:20220330164222j:plain

足馴らしなので半日だったけど、15605歩でした。

久し振りに心地よい疲れです。

新年度の仕事が落ち着いたら、次は京都に行こう。