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西播磨をめぐる 上月城・ホルモン焼きうどん・円心館

兵庫県の南西部、岡山県寄りを「 西播磨 」地方と呼びます。

6/5(日)、西播磨佐用上郡町 の史跡めぐりをしてきました。

織田vs毛利 激戦の地「上月城」に登る〔No.1〕

上月(こうづき)城のあるこの辺りは、播磨から備前・美作の国に通じる交通の要衝です。ですから、中国地方へ侵攻しようとする 織田 にしても中国地方の 毛利 にしても、押さえておきたい重要拠点のひとつだったようです。

上月城 のある荒神山は標高194m。案内標識では登山口から頂上まで380m。

頂上に近づくと堀切の跡がありました。ここまで15分ほど。

でも、コロナ禍で足腰が弱った60過ぎには息が切れる。情けない。

頂上には、城主「 赤松政範 」の250回忌供養碑がありました。

毛利についていた「赤松政範」は、羽柴秀吉 に攻められて落城してしまったのです。

このあと、羽柴秀吉 は「 尼子勝久 」と「 山中鹿之介 」を上月城の守りとして入城させます。

尼子氏 は、最盛期には山陰・山陽の8カ国を支配した戦国大名でしたが、毛利元就 によって攻め滅ぼされてしまいます。その後、家来の 山中鹿之介 立原久綱 らが、尼子勝久 を擁立して尼子氏の再興を計ろうとしていました。

織田は、その尼子氏残党を中国攻めに組み込んだわけです。

ここで、ゲーム「信長の野望」から2人を紹介します。

しかしながら、今度は 毛利 の反撃に遭い、天正6(1578)年に上月城は落城。尼子勝久 は自害し、山中鹿之介 は、毛利へ連行される途中で殺されてしまいます。

このあたりの話、岡田准一 さんが 黒田官兵衛 を演じたNHK大河ドラマ軍師官兵衛 」(H26年)にも描かれていましたね。

尼子の供養塔も麓の登山口近くにあります。

登山口の向かいにある 上月歴史資料館 にも寄りました。

きれいなトイレと広い無料駐車場が有り難いです。

佐用名物「ホルモン焼きうどん」を食べに行こう〔No.2〕

牛ホルモンと野菜にうどんを入れて焼いて「つけだれ」で食べるのが、佐用名物「 ホルモン焼きうどん 」。 一度、食べてみたかったんだな。

私が入ったのは佐用川沿いにある「 ふじ 」というお店。

初めての方にお勧めという「ふじセット」をたのみました。

材料はホルモン・豚バラ肉・野菜・うどんですが、店長さんが「皆さん2玉ぐらいぺろっと食べられますよ」と教えてくれるので、私もうどん2玉で注文。

目の前で焼いてもらっている間に、「 つけだれ 」を作ります。

ボトルに入った 味噌だれ 醤油だれ を1:1の割合で混ぜて、ユズ皮 とたっぷりの おろしにんにく を加えて完成。

そうこうしている内に「 ホルモン焼きうどん 」が出来上がり!

ホルモンが大きくてぷりっぷりっ、それに柔らかい。うま~い!!

味噌だれが美味しいので、味噌だれだけを追加しながら一気に食べた。

いやあ、ビールだわ! やっぱり!

ホルモン焼きうどんでビールを飲んだろう と思って、JR姫新線の列車を調べたのだけど、本数が少なくてうまいこと乗り継げない。それで仕方なしに自動車になってしまって、ビールは無し。あ~あ、残念。

南北朝時代に活躍した赤松円心の座像を見に行く〔No.3〕

赤松円心(則村)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武将です。

赤松円心 は、足利尊氏と行動を共にして、鎌倉幕府の打倒・建武政権の樹立・室町幕府の成立と、多大な功績を挙げました。その功により、円心は播磨国守護職に任命されて、守護大名赤松氏興隆の基礎を築いた武将です。

赤松円心座像をはじめ円心ゆかりの文化財を展示する「 円心館 」は「 宝林寺 」の境内にあるのですが、電話で見学の予約をしないといけません。

千種川を挟んで反対側にある 松雲寺 から、兼務の住職さんがわざわざ来てくださいます。この日も私一人のために来てくださって、詳しく説明もしてくださいました。

これが 赤松円心座像 。円心が還暦を迎えた時を写したものと伝わっているそうです。兵庫県有形文化財に指定されています。

館内は撮影禁止でしたので、上郡町観光協会のHPより引用させてもらいました。

円心の白旗城の登山口を確認〔No.4〕

足利尊氏 後醍醐天皇方に敗れて一旦九州へ下って体制を立て直そうとした際、赤松円心 は、新田義貞 率いる6万の追討軍をこの 白旗城 で50日余り釘付けにして進撃を防ぎとめたと言われています。難攻不落の山城です。

標高が440mあるし、雨が降ってきそうだったので、登るのは次回にしました。

上月城も白旗城も「 御城印 」が販売されていました。ブームなんですね。