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明智光秀の福知山城を攻めてきました

「元伊勢内宮皇大神社」に参った帰りに、福知山城(№③)に寄りました。

明智光秀の丹波攻めに関係の深い城について

№① 坂本城(滋賀県大津市)

信長の家臣として初めて城持ちとなったのが明智光秀でしたが、その城です。

山崎の戦いの後、家臣の明智秀満が籠城しましたが、秀満は自害、城は焼失しました。

№② 亀山城(京都府亀岡市)

丹波攻めの拠点。

また、光秀は、本能寺の変の際、この城から出陣 しています。

余談ですが、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」の次回7/12は 本能寺の変 ですね。

今回、足利義昭から届いた「信長を討て」という御内書について、織田信澄 が「あれを書いたのはこのわたくしでございます」と衝撃の告白を口にしました。

要潤さん(明智光秀)と共に「ええっ!! うそやん!?」でしたね(笑)

来週、本能寺の変はどのように描かれるのでしょうか。楽しみです。

江戸時代にも丹波亀山藩の藩庁として存続。

尚、明治時代に 亀山 の地名を 亀岡 に改称しています。

 

№③ 福知山城(京都府福知山市)

丹波平定後に、光秀が丹波領国経営の中心地として普請を命じた城 です。

江戸時代にも福知山藩の藩庁として存続。

№④ 周山城(京都市右京区)

丹波平定後に、京都北西の軍事の要衝として築城したとされていますが、光秀敗死後は使用されなくなり廃城となったそうです。

 

№⑤は 黒井城 、№⑥は 八上城 、共に光秀と闘った丹波の国人の城です。

 

では、福知山城を攻城!

福知山城の東側に駐車場があります。そこからの眺めです。

駐車場の隣は、「ゆらのガーデン」という食事もできるおしゃれなエリアでした。

昭和61(1986)年に再建された 大天守 です。

石垣は、光秀時代のもので、野面積。

転用石」が非常に多く使われていますね。

明治の 廃城令 により、天守周辺の石垣と二ノ丸の登城口にあった胴門(あかがねもん)を残して、大半が取り壊されたそうです。

左側は昭和59(1984)年撮影。本丸の高石垣は8mとのこと。

右側は昭和48(1973)年撮影。天守台には朝暉神社(あさひ)と胴門があったとのこと。

この 朝暉神社 は、江戸時代の福知山城主・朽木(くつき)氏を祭る神社だそうで、現在は、本丸内の天守の東側に移築されています。

また、胴門は当時、天守台に移築されていましたが、現在は、本丸内の天守の西側に再移築されています。

天守4階の望楼から北側を望みます。大江山方面です。

右側の小天守の屋根越しに見えるのが「明智藪」だと思います。

光秀が由良川の氾濫を抑えるために築いたといわれるものですね。

1階2階は光秀や朽木氏の資料が展示されています。(入館料360円)

朝暉神社の前から、大天守と小天守を撮りました。

 

〔 展示資料より知れたこと 〕

◇福知山城に光秀は常在したわけではなく、娘婿の明智秀満を城代としていたそうです。

◇この福知山城は、江戸時代前期の絵図と天守台の発掘調査をもとにした外観復元的な再建だそうです。

ですから、天守台の石垣には光秀時代のものが残っているけど、天守は光秀時代のものを忠実に復元したものではないということです。

尚、大天守の資料館受付の方々、丁寧な対応でたいへん感じが良かったです。