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赤穂浪士ゆかりの「浅野三がく寺」のひとつ、久学寺

「 浅野三がく寺 」について

忠臣蔵赤穂浪士吉良邸討ち入り で有名な播州赤穂・浅野家にゆかりの深い「 泉岳寺花岳寺久学寺 」の三寺をいうようです。

東京にある 泉岳寺 忠臣蔵のドラマにもよく出てきますし、花岳寺 ①はそれこそ地元・赤穂城の側にある菩提寺です。

同じ兵庫県内とはいえ、遠く離れた加西市の山里にある 久学寺 ②が、なぜ、「 浅野三がく寺 」の一つに数えられるのでしょうか。

それは、ここが播州赤穂藩の飛地のひとつだったからです。

播州赤穂藩の初代藩主が、加西の飛地を見聞する時にここ 久学寺 に宿泊されたとか。その際に、住職に深く帰依されて、浅野家の菩提寺となったのだそうです。

 

浅野家について

浅野家 は、尾張国の出で、浅野長政 は豊臣家の五奉行のひとりとなります。

関ヶ原の戦いで東軍に付いた 浅野家 は、長男の 幸長 紀伊和歌山に37万石、隠居していた 長政 常陸真壁に5万石を与えられました。

幸長から次男へと受け継がれた系統が本家であり、後、広島へ転封となります。

隠居領であった長政の地は、3男に受け継がれ、笠間を経て、後、播州赤穂へと転封となります。これが赤穂藩の始まりです。

 

余談ですが、大石内蔵助 は、この加西の飛地での灌漑工事を見に来て、この久学寺によく泊まったそうです。

そして、江戸城での刃傷事件を知らせる江戸からの早籠が赤穂に到着した時も、大石内蔵助は久学寺で住職と碁を打っており、慌てて赤穂に帰られたという言い伝えが残っているそうです。

あれ? 忠臣蔵のドラマでは、早籠の急使・早水藤左衛門と萱野三平の二人が、筆頭家老・大石内蔵助の屋敷門をたたいて、お家の大事を知らせるんと違うん?

 

でも ・・・ 訪れた目的は「 苔 」

谷に細長く広がるのどかな山里の最奥に久学寺があります。

この むした参道を見に来ました。

小さな仏様も に覆われています。

を痛めないように端っこを登りました。

秋の紅葉も綺麗だろうなあ。

お堂は新しくてちょっとびっくり。

たまたま住職さんがいらして、お堂の中もご自由にどうぞとのこと。

この達磨像 えっ!? 大石良雄筆とある!

本堂の脇に置いてある自動販売機、討ち入り装束の模様だ!

それに、飲みものに混じって数珠が売られていましたよ。(右上)

 

ウィークデー、仕事をしながら、週末は京都のどこへ行こうかなあと考えていましたが、兵庫県の真ん中、加西市へ。

苔と新緑が目当てでしたが、思わぬ歴史にも触れることができました。