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明智光秀が攻めた赤井直正の居城・黒井城

こどもの日に、丹波黒井城 跡(丹波市春日町)に登ってきました。

明智光秀 丹波攻め で激戦地となった山城です。

山としては 猪ノ口山 といい、標高356mで三等三角点があります。

城主は 赤井直正 (あかい なおまさ)。

この武将に関しては、ほんとに詳しく調べておられる方々のHPがたくさんありますので、私はゲーム「 信長の野望・大志 with PK 」を使って紹介します。

シナリオ「信長包囲網(1570年)」での丹波の領主は 波多野秀治 です。

八上城 を本城として、黒井城と植生城の3城に8人の武将を配し、国力27位。

その 黒井城 赤井直正 がいるのですが、ゲームでは波多野氏の家臣のように扱われてしまっています。

統率・武勇・知略に高い数値を持ち、戦法は奮闘で、なかなかに強い武将に描かれています。私の好きな武将の一人です。

丹波の赤鬼 」と恐れられた 赤井直正 の居城がこの 黒井城 なんですね。

話がそれますが、「 丹波の青鬼 」と呼ばれた武将もいます。籾井教業(もみい のりなり)です。ゲームでは植生城に配されていますが、籾井城主として知られています。

 

では、さっそく登ってみましょう!

駐車場は、ふもとの 興禅寺 の駐車場がお勧め。

下の写真の「 春日局」という休憩所と綺麗なトイレがあって便利です。

なぜ「春日局庵」なのかは後ほど説明します。

トイレ入口の壁に描かれたイラスト。ゲームの赤井直正とは雰囲気が違いますね。

これが 興禅寺

七間堀 」と呼ばれる水堀と 高石垣 に囲まれたこのお寺は、当時の 黒井城下館 だそうです。

この日は24~5℃ぐらいあったけど、からっとしていて気持ちのよい汗でしたね。

ほんとうに綺麗な新緑です。

東曲輪跡 と看板が立つ石垣の前に出ました。いよいよ頂上です。

本丸虎口の張り出しの石垣かな?

で、ここが 本丸 です。

一番奥に、黒井城の別名「 保月城趾 」の 石碑 がありました。

頂上からは360度の好展望です。

ひとしきり写真を撮って、お弁当タイムに。

おやつのみたらし団子も美味しかったなあ。

妻とは久し振りの山登りです。

小一時間ほどの登りでしたが、コロナで弱った足腰にはちょうどええぐらいやなあなんて話しながら、さわやかな風に吹かれて気持ちの良い時間を過ごしました。

ここで、駐車場の休憩所がなぜ「 春日局」なのかという話に戻ります。

徳川三代将軍 徳川家光 の乳母「 春日局 」が、この興禅寺で生まれているからです。

明智光秀 は、丹波攻略後、戦後処理に重臣斎藤利三 を当たらせました。

斎藤利三 は、3年ほどこの黒井城下館(興禅寺)に住んでいて、その間に「(後の春日局)」が生まれたんだそうです。

また、本能寺の変そして山崎の戦いは、「福」4才の時とのこと。

また、斎藤利三の妹が、長曾我部元親 に嫁いでいるという話もあります。

おまけの話し

2020~21年ごろ、JR福知山線で「明智光秀ゆかりの地を辿るラッピング列車」という特急が運行されていました。

年末に金沢に行った時に、ぐうぜん大阪駅で撮影できたのが下の写真。

山登りの汗を流しに温泉へ

近くに 国領温泉 というところがあって、一軒宿「 助七 」さんでは、日帰り入浴もできます。

泉質は、ラドンと鉄分を多量に含んだ炭酸泉なので、赤く濁っていました

男湯は「赤鬼の湯」、女湯は「お福の湯」。いい湯でしたね!

春は山菜、夏は鯉、秋は丹波松茸、冬はぼたん鍋や但馬牛のすき焼き。

次は一泊して料理を楽しみたいねと妻と話しながら帰ってきました。