小さなアマチュア無線局のブログ

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自分のアマチュア無線を振り返る

開 局

1983(S58)年9月に 電話級 で開局した。

就職先の先輩4人が開局されたばかりで、その話に興味を持って、大阪まで一人で試験を受けに行った。

National RJX230 と 144MHz2段GP で開局。

当時は、National 現在の Panasonic が、無線機を作っていました。

50MHzをメインに運用

当時の3エリアの2mFMはひどいもので、グループでチャンネルを独占し続けたり、ずーっと六甲おろし阪神の応援歌ね)を流し続けていたり。何より、SSBでもGPからでは交信範囲に限界があった。

それで、Eスポなどの伝搬が面白そうな50MHzがやってみたくなって、1985(S60)年3月から運用を開始した。

ICOM の IC551 と クリエートデザイン の 6エレ・ロングジョン

Eスポで8エリアがガツンと聞こえたときの感激は今でもよく覚えている。また、この頃は仲間と移動運用にもよく行ったものだ。

無線ができにくい時期

結婚してアパートに居た2年ほどは、外部アンテナが上げられなくて、QSLカードの交換をするような交信ができなかった。1989年と1990年はカード交換「0」だ。通勤時に仲間とモービルで話すぐらいだったなあ。

18MHzの運用を開始

50W運用 と新しい WARCバンド の18MHzに興味を引かれて、第3級 の免許に挑戦することにした。

その時も一人で大阪まで試験を受けに行ったが、1回目は見事に 不合格!

確か、モールス電信 については1分間25文字を2分間受信だったと思うけど、「あっ! 分からない。」と思ったら頭が真っ白になって、あとは聞き取れなかった記憶がある。

2回目で合格できて、1992(H4)年12月に 第3級 を開局。

 

しかし、実際に18MHzを運用開始できたのは、1994(H6)年2月だ。

ミズホ通信のピコトラ MX-18S と COMET の CHA-18 

ピコトラは確か2w。L型GPのCHA-18はDipole状にしても僅かに2.7m長。

このシステムで クロアチア と交信できた。これが Firstヨーロッパだった。サイクル23の上昇期だったので、こんなシステムでもヨーロッパと2W・SSBで交信できたのだろう。サイクル25に期待する。

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低 調 期

今、思い返すと、サイクル23の下降に仕事の忙しさや老親の介護などが相まって、運用が低調になった時期がずいぶんと長かった。2003(H15)年から2019(R1)年までの17年間は年間のカード交換が50枚に届かなかった低調期だ。ほんとにほそぼそとした運用だった。

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しかし、この間もJARL会員だったので、ある意味「優良なJARL会員」だったと思う。(笑) 何せ会費を払うよりダイレクトで送った方が安いという17年間だったからなあ。新婚のアパート時期の1年半ほどはJARL会員を外れたけど、ずーっと入り続けてきた。今年で会員証も36枚を数える。昔、永年会員表彰みたいなのがあったのに、残念だなあ。

FT8で復活

2019(H31)年3月に定年退職。今も再雇用フルタイムで働いているけど、身も心も楽になって、さあいろいろなことを楽しもうという気持ちになっていたところへ、FT8 の話題が盛り上がってきていた。

それで IC-7300M を買い変更申請を経て、2020年2月からFT8を運用開始。

同時にこのブログも開設して、お仲間から良い刺激を受けながら楽しんでいる。最近の刺激はCW。お陰様で、コロナ禍の窮屈な生活でも余りストレスが溜まらずに元気に過ごせている。やはり趣味を持つことはいいなあと思う。